しろくま

四六時中

たましいの救済

わたしは、自ら選んで死んでしまった人を多くの人みたいに「いろいろあったのかな、可哀想だな」と思う気持ちはあるけれど、もっと強く思うことは「よかったなぁ」。それだけに尽きる。

 

死は逃げ場ではないというセリフを聞いたことがあるけれど、そう、死は逃げ場ではなくて、一つの選択肢だと思う。

例えば、ずっと欲しかった車を買うように、ずっと行きたかったパリに行くように、ずっと死にたかったという願いが叶うのだから。

 

例えば本当に辛くて悲しくて、やり切れずに自ら亡くなったのだとしても、人々がそこへ向かうのは、果てしない救いがあるからだと思う。

この世にはない、永遠の解放が。

死ぬことでしか取り戻せないなにかを、きっと彼らはやっと手にできるから。(そうであってほしいと願っているからかもしれないけど)

だから、みんな旅立ってしまう。

 

なんでこんなに早く…もっと元気な姿をみせて欲しかった…

というのは他人のエゴでしかなく、それが相手を苦しめるのだから。

わたしたちも、もう無意識に彼らを苦しめずに済むのだから。

 

よかったねって、がんばったねって、送り出してあげたい。

それもわたしのエゴだと、分かっているけど。

 

友達が死んだのは7年前。

彼女もずっと望んでいた、選んだ場所に行けたのだと

ああ、なにもしてあげられなかったな。

でも、行きたいところに行けてよかった、本当によかった。そうに違いない。

そうやって自分に言い聞かせたことを思い出した。

 

知らない人の死を、1ミリでも推し量ることはできないけれど、願うことはたったこれだけで、わたしを取り巻くすべての人が、今日のほんのすこしの時間でもホッとした気持ちになれていますように。